自由でさえ、あればなー
細川院長
人間は誰でも、自分自身が決めたものになります
まわりの大人たちがそうなれと言ったからではなく、自分自身が決めたからこそ、そのものになります
人間には決められた本質がない、人間はあくまでも自由な存在である、その過酷な運命について、『人間は自由の刑に処されている』と哲学者サルトルは言いました
自由というのは、過酷な運命?!
細川院長
人間の自由は呪いである、とサルトルは考えました
自由なら、自分で何をしてもいいんじゃないの?
細川院長
人間は、自分で何もかも決めなければならない、そのための絶対的な価値基準はない、責任を他のせいにすることはできない、自分のしたことの責任からは逃れられない、自分自身からは逃れられない
人間は真に実存して真の人生を送るよう強いられている、と考えるのが実存哲学です